2022年1月13日木曜日

集まれ!世界史選択!「科挙のおはなし」



分かりやすい授業!生徒に寄り添う塾! 

大学受験予備校 河合塾マナビス豊洲校です。

冬期特別無料講習受付中です!!

 

 皆さんこんにちは!アシスタントアドバイザーの稲川です。

 突然ですが、蛍雪の功という言葉を聞いたことがあるでしょうか。皆さんは大学受験に向けて頑張っているかもしれませんが、この言葉は昔の中国の試験'科挙'に向けて勉強していた人の様子から取られた故事成語だって知ってましたか?

 

 中国の晋の時代に科挙の勉強に励んでいた学生が、夏の夜は捕まえた蛍の光を頼りに夜通し勉強し、冬の夜は窓辺に積もった雪に反射した月明りで勉強に励み、見事試験に合格したというものが由来です。そこから苦労して勉学に励む様やその成果という意味の故事成語になったのです。よく閉館の時に流れる「ほ~た~るのひか~りまどのゆぅきぃ~」という歌、まさにこれがもとになっています。豊洲校でも流したら皆も勉強頑張ってくれますか??

 

 ところで世界史選択の皆さん、科挙と聞いて体がムズムズしましたよね??僕は科挙と聞いたらもううきうきで体が止まりません。本日は科挙の歴史についてほんの少しお話します。

 

 中国の官僚登用制度は様々な方式がとられますが、科挙が採用されたのは隋の文帝の時代(587)のことです。(GO!いやな科挙勉強)と覚えました。

 

 そして唐代に科挙制度が本格的に整備され、太宗孔穎達「五経正義」を編纂させました。そして則天武后の政治では科挙官僚が重用され始めます。宋代には趙匡胤によって殿試が加えられ、王安石の改革によって進士科のみに限定されました。元代には科挙は停止されたが明では復活し、永楽帝によって「四書大全」「五経大全」が編纂されます。征服王朝の清代でも科挙は行われ、太平天国では初の女性の科挙が一度だけ実施されたことで有名です。しかしその後の戊戌の変法で康有為によって科挙改革が行われたようですが、戊戌の政変で失敗してしまうことになります。しかしその後西欧文明に感化された西太后光緒新政1904~)で、1300年以上続いた科挙を廃止するに至りました。

 

 

とまあこんだけ科挙で語れるわけです。豆知識として、科挙の倍率は進士科で100倍以上とされていました。「たかが高くて10倍程度の大学受験なんて簡単なんだから~」なんて言いませんよ。安心してください。当時の科挙の受験50歳までに受かればよいほうとされていました。それに比べて皆さんは!現役で受からなくてはなりません!!ある意味で皆さんの方が難しいかもしれないと思っています。

 

 今回はここまでです。1300年続いた科挙並みに長いお話にお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

 

河合塾マナビス豊洲校 電話番号:03-3531-3911

 

<河合塾マナビス豊洲校へのアクセス>

東京メトロ有楽町線「豊洲」駅5番出口直進 徒歩1

東京メトロ有楽町線「月島」駅より1駅、「辰巳」駅より2

 JR京葉線「越中島」駅 徒歩15

 

<河合塾マナビス豊洲校 開館時間>

平日・土曜  13:3022:30
日曜・祝日  10:0018:00
年間では休館日があります。
時期によって開館時間が異なることがあります。詳細は校舎にお問い合わせください。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。